「コンビニ人間」村田 沙耶香 感想

 「皆口 を そろえ て 小鳥 が かわいそう だ と 言い ながら、 泣きじゃくっ てその 辺 の 花 の 茎 を 引きちぎっ て 殺し て いる。

「真っ白 な オフィス ビル の 一階 が 透明 の 水槽 の よう に なっ て いる のを 発見 し た。」

「テーブル の 上 の、 ケーキ を 半分 に する 時 に 使っ た 小さな ナイフ を 見 ながら、 静か にさ せる だけで いい なら とても 簡単 なのに、 大変 だ なあ と 思っ た。」


200ページに足らない小説だったから、2時間少しですぐ読めた。色々なひとの感想をみると、古倉や白羽に共感できる人と気持ち悪いと思う人がいるようだ。

僕は主人公の白羽のちょっと変わった感性は面白いと思った。死んだ小鳥を唐揚げにしてお父さんに食べさせてやろうとか、子どもが言ったのならかわいいと思うし、ガラス張りのコンビニを水槽に例えるのは詩的だと思った。

古倉に普通であることをもとめる周りの人々は、現実より抽象化されているのかかなり辛辣だ。「やべぇ」という小さな呟きは自分が言われているかのように感じ、胸が痛かった。

 

なぜ普通であることをもとめるのか。。?

多分普通の人も普通ではないからだ。
古倉のように極端ではないかもしれないけれど、多かれ少なかれ普通ではない部分がある。でも、普通でいるために努力して合わせている。
結婚して子どもを産んだり、仕事を頑張ったり、必ずしも100%自分でそうしたいと思ったからそうしているのではなくて、普通であろうとして努力してそうしている。

だから、自分はこんなに努力して普通にやっているのに、普通であることを放棄して努力していない(ようにみえる)古倉が許せないのだ。
決して古倉のようになりたいというわけではないけど、古倉に対して嫉妬のような感情があるのではないかと思う。

それから、自分とは全く異なる価値観が存在するということが想像できないからかもしれない。
古倉と白羽のことをゴシップのように楽しんでいた人もいるけれど、単純によかったねぇという気持ちでいた人もいるはずだ。例えば古倉の妹はそうだろう。
普通であることを古倉に強制しているつもりではなくて、妹の価値観では恋人ができる=幸せと思っただけだ。悪意があるわけではない。

 子どものころ「自分がXX君だったら、どう思う?」のような叱られ方をしたことがある。あるいは「自分が嫌な事は人にはしてもいけない」と言われたこともある。
つまりは人の気持ちを考えろ、ということなのだが、こういう言い方はあまりよくないと思う。なぜなら、自分と他人は同じように感じるはずだという前提があるからだ。

 例えば、僕はどちらかというとノンキでたいていのことには腹が立たない。
待ち合わせに人が来なくても、来ないなら来ないでなんか別の事でもしようかなと考えたりする。
こんな調子で僕が腹が立たないから、他の人もそうだろうと考えて、遅刻したりドタキャンするとまぁ大体の人に怒られると思う。(実際に怒られた)

 本当に人の気持ちを考えるときには、自分だったらどうかと考えることはあまり意味がない。その人の考え方や色々な要素を含めて、その人になりきるような気持ちで考えなければならない。

 この時、自分の考え方はむしろジャマだ。
自分だったらこうするのに、とか自分はこうするのが正しいと思うとその人の気持ちを考えることができない。
普通であれば、あるほど自分でない考え方に出会う確率は少ないし、多数派であるから自分の考え方が正しいという根拠があるように思えてしまうのかもしれない。