「グレート・ギャツビー」フィッツジェラルド 感想

#### 感想メモ

- 第一次世界大戦後、NY
- 緑色の光
- お金のような声
- ギャツビー視点ではなく、とらえどころのない感じの主人公の視点から物語はすすんでいく
- 科学も芸術も俺たち西洋人が発明したんだとは、なかなかの台詞だ。「有色人帝国」とかね
- 巻末の解説がわかりやすい。中西部(田舎)と東部(都会)の構図になっている、と。トムやディジィは東部の人間として生きていて、ニックは東部に出てきたけど中西部に帰っていく。ギャツビーは東部の人間としてお金を稼いだけど、お金自体が目的ではない、ディジィへの愛が目的だった。外面は東部だけど、魂は中西部みたいな。
- トムとかディジィのような(ニック視点では)自分勝手な人間は変わらず生き続けて、ギャツビーのような理想をもった人間がディジィにも選ばれず、殺され、パーティで騒いでいたたくさんの人も葬儀に来ないのはやりきれない気持ちになる
- と同時にトムやディジィ、パーティで騒いでいた人間なんかむしろ来なくていい。わかるひとだけわかればいいのだ、という気持ちにもなる
- 実際、理念や高潔さをもった人間のほうが、(物質的、金銭的には)うまき生きられない確率は高いし、自分勝手な人間のほうがうまく生きられるってことはあるよなぁと思う
- ギャツビーはニック視点ではグレート・ギャツビーかもしれないが、ドラックストアで酒を違法に捌いて金を稼いでいたり、グレートではないのだみたいなamazonレビューがあってなるほどねと思った